YouTube 第3弾「福島仮設住宅の記憶」をアップロードしました。
URLは下記のとおりです。
https://youtu.be/YEQ_NdFJCiY

福島県内に作られた仮設住宅は16769戸。
2012年1月の入居者数は3万人を超えた。
その多くが、原発事故によって避難を余儀なくされた人々だ。
仮設住宅は、公園や広場、運動場、工業団地の空き区画などに作られた。

温暖な浜通りで暮らしていた人々は、
まったく違った環境に移された。

会津松長近隣公園仮設住宅団地。
市内でも最大の249戸の規模だった。
雪深い会津の冬は、避難者にとって初めての経験ばかりだった。
会津盆地を見下ろす高台に造られた住宅街を通り過ぎた一番奥に、団地はある。
雪の少ない浜通りからやってきた避難者たちが慣れない雪かきをしていた。
「皆でやるので、顔見知りにもなるし、話をするきっかけができる」
と意外な効用を話してくれた。
屋根はフラット構造のため、積もった雪は自然落下しない。
「溶けるのを待つしかないさ」住民はあきらめ顔で語っていた。
集会所では唄が披露され、集まった仮設住宅に住む人々は故郷を偲んだ。
曲名は「ふるさと浪江」。
団地を巡回して、避難されている住民に聞いてもらっているという。

あれから8年余り。
今も仮設住宅に住む人々は174人となった
(福島県災害対策本部調べ。2019年8月31日現在)。
2020年3月31日には、大熊と双葉からの入居者を除き、すべての仮設が閉鎖される。
仮設の取り壊しは進んでおり、今も残っている仮設住宅も、近々取り壊される。

会津市内、松長近隣公園の仮設住宅団地の現在(2019年7月27日)。
仮設住宅は7月末の強い日差しに炙られていた。
35度を超える気温にやっと耐えているような住宅団地は、ひと気が全くない。
広大な駐車場にぽつんと停まっている一台の車と、空き缶や空き瓶が置かれたゴミ集積場が、
居住者の存在を示しているだけだ。
6月の新聞記事によれば、ここにはまだ五人の居住者が残っているのだという。
住宅の間を歩いても、人の姿を見ることはなかった。
どんな人々が、どんな事情でこの団地に住み続けているのだろうか。

安達太良応急仮設住宅団地は、
主に富岡町の被災者用として平成23年9月に648戸の規模で完成した。
実際の入居者はピーク時で250世帯460人だったという。
入居者が想定より少なかったのは、故郷から遠いこと、浜通りとは気候や風土が違うことなどが理由として考えられる。
2019年6月、安達太良応急仮設住宅団地は半分壊され、半分残っていた。
現在の仮設住宅は物置がわりに使われているが、居住者はいない。
かつて住んでいた人の大部分は、大玉村を離れている。
旧仮設住宅の東側に、復興住宅52戸が建っている。
入居者の多くが仮設に住んでいた人々だ。

3万人の原発事故避難者が暮らした仮設住宅は、
やがてすべて取り壊され、歴史の彼方へ消えてゆく。
ここで暮らした人々の記憶もまた、
消え去ってゆくのだろうか。